飲食就活生のエフラボトピックス

エフラボ
Worker's ハイ~夢中の仕事~ 「蕎楽亭 もがみ」 店主 最上 はるか氏
責任と覚悟を持っていれば
夢はきっと、いつか叶う
どうしても自分のお店を持ちたい……その夢を若干26歳にして叶えた「蕎楽亭 もがみ」の店主、最上氏。2度の出産を経てなおも今、元気に笑顔で店を開ける彼女だが、料理への探究心は以前にも増してふくらんでいると語る。飲食の仕事は“最もアナログだけど、クリエイティブな仕事”と考える最上氏が、この世界に夢中になる理由とは。そしてこれからの展望とは……。
最上 はるか
1985年、東京都生まれ。大学在学中に神楽坂の蕎楽亭でアルバイトをはじめ、卒業後に正式に就職。約6年の修業期間を経て、2012年、26歳のときに念願の独立を果たし、神楽坂に『蕎楽亭 もがみ』を開店。29歳のときに第一子、32歳のときに第二子を出産。それぞれ約8ヶ月間の産休をとるが、復帰後の現在、店主として店を再開。

自分で商売をやりたかった
だから飲食の世界を選んだ

私の場合、自分でお店をやりたいという気持ちが先にあって、そのためには何か食べ物をつくって売ることが一番分かりやすいし、自分の自信にもなるかな、と思って飲食の世界に飛び込んだんです。だから、きっとこれを読んでいる人たちのほうが、私よりもずっと料理が好きでこの世界に入りたいと思っていると思うので、私なんかが料理について語っていいんでしょうか……というのが、素直な気持ち(笑)。ただ、独立して7年目を迎えた今だからこそ話せる料理に対する思いや飲食の世界で働く楽しさが、みなさんの参考になれば嬉しいです。

私が独立したのは26歳のときで、当時は若かったから〝いけいけ、どんどん!〟みたいな気持ちで突っ走っていて……。今思うと怖いもの知らずだったし、知識もゼロ、本当になめていましたね(笑)。だから、開業資金を制度融資から借りるときも、なんのフォーマットも持たずに行ってしまったんです。でも、面談員の人がすごく丁寧に教えてくれてなんとかなった、みたいな。いつもそうなんですけど、もうだめかもっていうときにキーマンがでてきて助けてくれる。その面談員の人ももちろんですし、『蕎楽亭』の親方もそう。よく食べログなどで、うちのお店を「蕎楽亭から唯一暖簾分けを許された蕎麦屋」と書いてくださる方がいるんですが、そうではないんですよ。私の先輩方は独立するときに自ら蕎楽亭の看板を辞退しているんです。先輩いわく「蕎楽亭の看板を持ったら本当に大変だぞ!」って。でも私は開店するにあたって最初から信用が欲しかったので、親方に頼んで快諾してもらったんです。でも蓋を開けてみると、先輩方が言ったとおり、すごく大変で……。お客様は2号店だからと期待してくださるし、こちら側は準備不足でまだ動線もしっかりしていないしで、開店してから1~2年の大きな壁と言えば、蕎楽亭の看板だったかもしれませんね。

次の壁は、やっぱり出産。30歳前に産みたいとは思っていたんですが、いざ妊娠したら、家賃などのことを考えると不安しかなくて! 行動すると課題がでてくる、その連続でした。それでもなんとか自分の熱量と気合い、そして人の助けがあってやっと7年目を迎えることができて、料理の楽しさを感じる余裕も生まれてきましたね。

開店から7年目を迎えて……
すべては選択と決断の日々

お店を持つ夢を叶えるために、料理を選択してよかったなと思う瞬間は、月並みですけど、自分がつくったものを食べたお客様が「おいしかったよ、また来るね」と言ってくれたとき。いろいろな仕事がある中で、ここまでダイレクトにお客様の声が届く仕事って他にはないと思います。アナログなんだけど、自分で創造する楽しさとやりがいがある、それこそが料理の魅力なんですよね。私は経営者でもあるから、楽しいだけではやってこれなくて、責任を伴うということが、想像以上に大変でした。メニュー構成はもちろん、営業時間、定休日、単価……それら全部をひとりで決めて、全てにおいて責任を負うのは、ある意味孤独ですよね。出産後の復帰時期を決めるのも自分だったし、何もかもが選択と決断の日々なのに、誰も教えてはくれませんから(笑)。出産の時期に関しても、ある程度店が繁盛してきて、30歳が目の前に見えたときに〝今なら社員もいないし、固定費も少ないから休めるのではないか……〟と思ったからなんです。

独立する前までは、選択肢として〝就職したまま子供を産んで、子育てがひと段落した45歳ぐらいで独立しようか〟という考えもあったんですが、いろいろ悩んだ末に、そのときの自分に果たして体力があるのか、と。それなら今の自分に投資しようと思ったし、逆に早く独立すれば、早く子供を産めるかな……って。もちろん、子供が欲しいからってすぐに妊娠できるわけじゃないし、未来は見えませんでした。でも、運良く妊娠できたし、好きな人の子供を産めたことは、お店を持てたこと以上に幸せなことだと今は思います。

私はあまのじゃくなところがあって、反対されると余計に燃えるんです(笑)。だから、大学時代に蕎麦屋をやりたいと言ったときも、結婚しないけど子供を産みたいと言ったときも周りからはものすごく反対されたし、失笑もされたけど、だからこそ絶対にやってやる! と思えたんです。反対する人がいるぶん、自分に対する責任と覚悟を持って行動をしていたら、自然と応援してくれる味方も増えてきて、いい流れができてきた……そんな7年間だったと思います。

自分としっかりと向き合えば
進むべき未来が、見えてくる

料理ひとつで、お客様が明日もがんばろうと思ってくれたり、お客様同士の会話が花開いたりすることもある。だからこそ、料理でお客様を裏切っちゃいけないと私は思っていて、料理に対する探究心や情報は日々いれるように心がけています。奇を衒うという意味ではなく、どういう調理方法でどういう盛り付けをすればよりお客様が喜んでくれるのか。先日、笠原 将弘氏がオーナーを務める『賛否両論』に行ったんですけど、その料理一つひとつが王道なんだけど、すごくアイデアをこらしていて本当にすばらしかったんです。ワクワクする料理ってこういうことだと思いました。こうやって外からいろいろな情報やインスピレーションを取り入れるようにするのが、今はすごく楽しいです。料理の専門学校を出ていないからこそ、これからももっと料理の勉強をして、まっとうなお料理屋さんにしたい……それが、近い未来の夢ですね。

私のモットーは、取り越し苦労しすぎないこと。今日できることに責任を持って全力を尽くせば、結果は後からでもついてきてくれますから。だから、就職を前にした学生さんたちにも言いたいんです。今は、不安と希望が同じくらいあると思うけど、まずは自分と向き合って、自分がどう生きたいかを考えてみては? と。自分の未来を決める一番大切なときだからこそ、スマホの電源はきって、自分とだけ向き合うべきなんです。答えは自分の中にしかありませんから。それが見えてきたら、あとは責任と覚悟を持って、自分で決断して進んでいく。逃げ道をつくると人間として成長できないので、自分の答えには正直に進んでいくべきだと思います。

私も自分で決めたからこそ、失敗や反省はあったけど、自分の生きてきた道に後悔はまったくないんです。飲食の世界は厳しいと言われていますけど、今の世の中、どこの業界も厳しいと思います。その中で飲食業界は、食べるのには困らないし、店で寝ることもできる! ちょっと無茶かもしれないけど、でもそれぐらいあっけらかんとして立ち向かうのもひとつの手だと思います。石の上にも三年……ということわざにもあるように、我慢をする期間も必要だから、一回プライドを全部捨てるのもいいと思います。そうすると見えてくるあたらしい世界が絶対にあるので。学ぶ上で無駄なことなんてひとつもないし〝努力をしている人を神様は見捨てないよ……〟と私は信じています。

2019年2月掲載

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