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Worker's ハイ~夢中の仕事~ 「福わうち」店主 三宮 昌幸氏
料理の世界には奇跡に近い
楽しいことがたくさんある
和の巨匠という異名を持ち、東京の白金にふたつの人気和食店「福わうち」と「鬼わそと」を構える三宮氏。料理をこよなく愛するひとりの料理人として、またひとりの経営者として、なぜ彼が飲食の世界に夢中になっているのか……。17歳から現在までの飲食人としての人生を振り返りながら、仕事の醍醐味について三宮氏は熱く語る。
三宮 昌幸
1967年生まれ、大分県佐賀関出身。料理好きな両親の背中を見て育ち、16歳で高校中退後すぐに板前の修業を開始。17歳で調理師学校に入学。27歳まで九州の和食店、料亭、寿司屋などで経験を積む。その後、人気和食店「たらふくまんま」の東京店の店長として上京。34歳で独立。現在、東京・白金で「福わうち」と「鬼わそと」を営む。

16歳で板前になると宣言……
でもすごく、厳しい世界だった

私が飲食の世界を志そうと思ったきっかけは、小さい頃から料理をする両親の姿を見ていたから。小学校2年生のときには自分で野菜をむいて、カレーライスをつくっていました。自分のつくった料理を誰かが「おいしい!」と言ってくれる喜びをこのとき初めて知ったんですが、今でも覚えていますよ。

ただ、うちは公務員系の家系だったから、私が高校1年生の途中で「板前になる」と言ったときはめちゃくちゃ反対され、そのことが原因で家出をして、そのまま和食屋の調理場で働かせてもらっていたこともありました。でも自分の真剣な気持ちが通じたのか、17歳になると両親が調理師学校に行かせてくれて……。そこからは勉強しながら働いて、24時間のうちのほとんどが料理で埋め尽くされました。

私の時代は、飲食の世界はものすごく厳しかった。その中でも特に和食は本当に厳しくて、途中で辞めたいという気持ちにもなったけど、辞めたら暮らしていけないというのと、先輩たちには可愛がられていたので、辞めませんでした。なにより、親方が怖くて、辞めるなんて口が裂けても言えなかったんですけどね(笑)。

ちなみに私が和食の道に進んだ理由は、純粋に和食が好きだから。お吸い物から立ち上がる出汁の香りと魚の煮付けなどで味わえる甘辛いタレのような味……このふたつさえあれば米はいくらでも食べられる(笑)。これこそ和食の魅力と言っても過言ではありませんね。それに今でこそ、鰻や寿司、天ぷらは専門職になっているけど、これらは全て和食。つまり、和食ができればなんでもできるようになれるんです。それって素晴らしいことじゃありませんか?

私の場合、独立したのは34歳のときだから、16歳から33歳まではみっちりと料理の世界で勉強をし続けていたという感じですね。10年先のことを考えるのはものすごくしんどくて、だいぶ遠くに感じるけど、昔を振り返ってみるとあっという間でしたね。大変なことだらけだったけど、料理の世界には奇跡に近いことがちょこちょこ起こるんです。それは独立をしてからの話にはなるんですが……

料理は私の人生のパートナー
切っても、切れない関係です

お店のコンセプトというか、『福わうち』をオープンするときに、ひとつだけ守りたかったことは〝暖かさ〟。ホットではなくて、ウォームを意味する〝暖かさ〟。お店に入ったときにまずお客様の心が暖まって、暖かみのある料理を味わってもらう、そして元気をだしてもらいたい……そんな願いが込められているんです。だから店名も「は」ではなくまるっこい「わ」の字を使うことで柔らかさをだしています。あとは、カウンターのある店ということにもこだわりました。これは自分が博多の寿司屋で働いていたときにはじめてカウンターを経験させてもらって「あー、こんな世界もあるんだ」と感動したからなんです。だって、カウンターだと私が料理をしている手元をお客様にすごく見られるうえに、こちら側もお客様が食べているところをダイレクトに見ることができる。そんな距離感がすごくいいなぁと思っていて、いつか自分が店を出すのならば、カウンターのある店にしたいと考えていたんです。将来的には、カウンターだけで勝負したいですね。お弟子さんも全員独立して、ひとりになったらカウンターだけの小さなお店をやるっていうのもいい老後かな……と(笑)。

さっき、料理の世界には奇跡に近いことがちょこちょこ起こるという話をしましたが、具体的に言うと、ふらっと来店してきた有名な方と知り合うこともあるし、自分では買えないようなお土産をいただくこともある。ここでは語りつくせないほど嬉しい出会いもいろいろとあるんですよ。料理プラスお客様との何か……これこそが飲食の世界の醍醐味かもしれません。人生をスマホに例えるなら、料理はアプリみたいなもの。こういう言い方って、今っぽくありませんか(笑)?

あと、料理の楽しさは、段階がたくさんあること! 包丁が使えるようになるにもいくつか段階があって、まずは薄刃で桂むきをする、それから出刃で魚をおろすようになる、そして刺身包丁で刺身をひけるようになる。これらの順序を間違ってはいけないんです。順番を間違えてしまうと、刺身はひけるけど魚をおろせないという料理人になってしまう。料理は順序立てて覚えていくからこそ、だんだん出来るようになっていく過程が楽しくて、それがやりがいに変わっていくんだと思います。

いろいろと大変なこともありますが、今の私にとって飲食の仕事、つまり料理は人生のパートナー。16歳で板前にならなかったとしても、どこかで飲食の道に入っていたと思うし、今仮に船乗りになることがあったとしてもキッチンで働きたい……それぐらい切っても切れない関係なんです。

飲食の世界は、今がチャンス
興味があるなら飛び込むべき

自分に子供ができてから、子供に対する気持ちが変わって、料理教室をはじめるようになったんです。最初は、娘の友達を集めて家で料理を教えていたんですが、今は中学校などに出向いて教えることもあります。小さいうちから、包丁に慣れて料理を好きになってもらいたいという気持ちが強いですね。それに、料理にかかる時間や手間、大変さに気づくことで親のすごさにも気づくんじゃないかと思って。

子供たちには優しく、楽しく教えますが、弟子には別ですよ(笑)。3回同じことを注意されたら、ものすごく怒ります。でも、怒られるということは、自分の成長への投資だと思い、自分のために親方は怒っているんだな……と気づけるようになるまでがんばって欲しいですね。

ちょっと話が遠回りしてしまいましたが、私が、今の若者たちに伝えたいことは、飲食の世界は辛くてキツいから不安はあるだろうけど、とにかく1年間働いてみてくださいということ。理不尽なこともたくさんあるけど、理不尽が人を育てることもあるんです。だから続ける根性を持って欲しい。あとは礼儀。礼儀には謝り方も含まれていて、礼儀がきちんとできると何かと有利なんです。それと、新人のうちに背伸びしていい包丁を買って使ってみるのもいい手だと思います。物を大事にする心が身につきますからね!
今は、僕の時代とは違って飲食の世界は、お給料も社会制度、休日だってきちんとしています。僕からしたら天国ですよ(笑)。

すぐに辞めちゃう人間が多いからこそ、今こそチャンスだとも思います。だから「お給料はいくらでもがんばります!」ぐらいのガッツを持って飛び込んできて欲しいです。キツくて嫌なことばかりなんてことは絶対になくて、たまにあるいいことがそれを簡単に上回るんです、この世界は。そこがおもしろい! 根性と礼儀、そして自分への投資……この3つを心に掲げて、飲食の仕事=夢中になれる仕事になることを願っています。
あ、ちなみに余談ですが、料理と女性の扱いは実は似ているんです。だからモテる男性の料理はおいしい! モテない男性の料理には色気がないんです(笑)。女性にはぜひ覚えておいて欲しいですね。
最後が関係ない話になってしまって申し訳ないですが、私の話から少しでも飲食で働く楽しさが伝われば……と思います。

2019年2月掲載